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ナルびとたち

 

本当にいい家とは
健康を守る、高性能な家

成島 敬司:写真01
ナルシマプロデューサー / 取締役会長
成島 敬司

取手市生まれ取手市育ちの生粋の取手っ子。材木屋の息子として生まれただけあって、木への思い入れは人一倍。 人が好きで特技は人と仲良くなること。昔から3分あれば友達になっているらしい。 生活を楽しむ名人でもありそのための考えは次々に浮かんでくるアイデアマン。 受信するアンテンナは高感度で、いいと思ったものはすぐ取り入れる行動派。 自分では親分肌との意識はないらしいが、まわりから自然と担がれ長を任されることも多々(取手JC第21代理事長、第48代取手ライオンズクラブ会長、FPグループ南関東副会長等)。 毎朝毎夕、柴犬ムクの散歩が日課で、まわりからはムクパパと呼ばれている。

 

成島一所懸命物語

木に触れて職人と遊んだ少年時代

私は昭和33年(1958年)生まれ。ちょうど昭和30年代から40年代のいわゆる高度成長時代に幼少期を過ごしました。

生家である成島商店は、そのときすでに取手市の材木商社の老舗として公共建築や個人住宅の建築用の木材を扱い、また大工職人がいて家づくりも手がけていました。車も少なく道路も砂利道がほとんどだった当時、巨大な丸太を積んだ馬車が行き来する様は、さすがに記憶には残っていませんが、古い写真で見ることができます。届いた材木は作業場で職人さんによって製材されるのですが、幼い私はこの作業場がお気に入りでよく遊びに行きました。

父をはじめとする職人は皆無口で、いわゆる昔気質ではありますが心根はやさしく、ずいぶんかわいがられた記憶があります。黙々と働く職人さんの仕事を見たり(もちろん何をしているのかはよくわかりませんが)、端材を拾い集めて遊びながら私なりに木になじんでいたのだと思います。男3人兄弟の長男なので、物心つく頃には家業を継ぐことが当然と思っていました。自分でも建築には興味があったので、進学も建築系を目指すようになりました。

成島 敬司:写真02

さまざまな家づくりの現場で修行、いいとこ取り

高校を卒業後、建築関係の専門学校に進み、設計事務所に就職して数年後にそこと取引のあった工務店に転職しました。この設計会社と工務店は、いわゆる高級住宅、芸術作品のような建物ばかり建てている会社でした。 そこで出会った設計者に大変感銘を受け、建築のデザインとかディテールの扱い方とか、いろいろなことを学びました。 今でも大切にしているデザインとか、家づくりのコンセプトへのこだわりというのは、この頃身についたものなんです。

その後、某大手ハウスメーカーに転職。 営業職で入ったのですが、中途採用だったのでとにかく業績を上げないと給料も上がらないので、随分頑張りましたよ。 元来、人好きで話し好きなものですから、天職かと思うほどに優秀な成績を納めることが出来ました。しかし、ハウスメーカーは役割分担がはっきりしていて、営業から設計、現場と離れてゆく。もっと、お客様の近い所で、現場の近い所で仕事がしたいと思い、5年いたハウスメーカーを退職し、家業の成島商店に入ることにしました。

ですからその間に設計事務所、工務店、大手ハウスメーカーと、家をつくる会社はほぼ全部体験することができたんです。おかげでそれぞれの長所と短所がよくわかるようになりました。工務店の家づくりに、設計事務所やハウスメーカーの家づくりのいい所を柔軟に取り込める姿勢は、ナルシマの進化する家づくりの特徴にもなっていると思います。

成島 敬司:写真03

家業を受け継ぎ、住まい工房ナルシマを立ち上げる

成島商店の住宅事業部から始めて、平成4年(1992年)に「住まい工房ナルシマ」を立ち上げました。

その頃の私にとっていい家とは、デザイン性のあるカッコのいい家だったんですね。「作品」になるような家を建てては、建築専門誌の表紙に採用されたりして満足していたのですが、ある時お客様から「ナルシマの家はかっこいいけど寒い」と言われてしまったんです。それは自分には非常にショックで、その対策にすっかり悩んでしまいました。そんなときたまたま『FPの家』の展示会を見る機会がありました。まだ高気密・高断熱という言葉が一般的ではなく、グラスウールが入っていれば大丈夫、という時代のことですから、北海道で生まれたウレタン断熱パネルの工法は実に衝撃的だったわけです。これならお客様の悩みも解決できる、とすぐにFPグループに加入しました。 実際に『FPの家』を建ててみると、お客様からは暖かい家だといわれ、結露がなくなったと喜ばれるようになったんです。

これは本当に画期的なことでしたね。本当にいい家とは健康を守る、高性能な家なんだと気づかされました。当時は、取手市内で高性能な家をつくっている工務店やハウスメーカーはほとんどありませんでした。材木屋がつくる高性能でちょっとおしゃれな家。ナルシマの家は建築中からも完成してからも目立っていましたので、まわりからナルシマの家は普通と違うといった目で見られたのだと思います。

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進化を続けるナルシマの家、変わらぬ地元の街で一所懸命

自分が住宅の仕事に携わってもう30年、住まい工房ナルシマを創業して20年以上もの月日が経ちました。

材木屋から始まり、高性能住宅という未知の分野で知識をスポンジのように吸収し、経験を積み、ナルシマの家も進化を続けてきました。ナルシマオリジナルの「ハイブリッドエコ断熱工法」開発、長期優良住宅仕様からも約10年を迎えようとしています。この30年間、多くの仲間、いろいろな方との出会いがありました。それでもやはり自分に一番「気づき」を与えてくれたのは、お客様でした。

「いい家」のつくり方の答えはひとつではないかもしれません。その答えを持っているのは、つくり手である私たちではなく、やはりお客様なのです。「ナルシマの家に住んで本当に快適だった、頼んでよかった」そう思ってもらえるよう、驕らず、謙虚に「健康で快適、安全・安心な長寿命住宅」を追求し進化し続けること。「家守り」として、お客様にいつまでも寄り添い「三世代交際」を続けていくこと、が使命だと思っています。そして今、ここ取手の街で一所懸命、みなさまの「家づくり」から、街の価値を高める元気な「街づくり」へと広がっています。自分でもびっくりするぐらい、ナルシマの「家づくり」が、「街づくり」「縁づくり」へと、ますます広がっているなと実感しています。

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