神奈川県相模原市生まれ。高校・短大時代を女子高で過ごし保育士の資格を持つ。いつも笑顔の元気少女が取手に嫁ぎ工務店女房に。嫁として妻として母親として、三世代同居する成島家を切り盛りしながら、住まい工房ナルシマの専務として社長成島を影で支えたり、時には引っ張ってゆく自然とまわりを明るくするひだまりのような存在。二人の子どもも立派に社会人となり今はナルシマで一・所・懸・命・。最近は、インテリアアテンダントとしてお客様に寄り添い、住まいやインテリアについての思いをカタチにすべく専門家とのコミュニケーションをサポート。住まいと暮らし、食と健康をつなげた主婦目線でお客様と接しています。
短大時代は保育科で、運動会や発表会では実行委員会に入りクラスは見事優勝したり。昔から元気に体を動かしたり人前でお話したりすることは好きでしたね。
卒業後は、横浜の小児歯科に勤めました。その当時は子どもに説明して治療を嫌がる場合、「車のチャイルドシートと一緒です」と言ってネットで子どもをグルグル巻きにして治療をするところが多かったのですが、無理して治療しないという先生の方針もあり、担当するお子さまと遊んだり、ブラッシング指導をしたり、お母さんにオヤツ指導をしたり、仲良くなって自分でお子さんが治療台に上れるようになるまで待っていました。今考えると、一方的に話をするのではなく、お話を聞いてあげて、不安を取り除いてあげるというのは、家づくりと一緒なんだなと思います。
同僚や後輩とディズニーランドやスキーなどに出かけたりもしていました。まさにバブルな時代で、映画「私をスキーに連れてって」に憧れたりして。本当に、普通の女の子で、その後、工務店に嫁ぐとは夢にも思っていませんでした。
友人の結婚式で知り合った成島と、平成2年(1990年)に結婚。
成島が勤めていたハウスメーカーを辞め、成島商店に入った頃でした。翌年には長男が誕生し、その翌年に「住まい工房ナルシマ」を創業。その後、長女も生まれ、材木商「成島商店」の社長である父と母、会社を立ち上げたばかりのやる気盛りの夫、育ち盛りの小さな子どもたち、親子三世代の面倒を見ることになりました。茨城というまったく知らない地に嫁いだ私は、風土や慣習に戸惑うことばかり。また、ごく普通のサラリーマン家庭で育ちましたので、自営業である工務店という環境も違いました。最初は工務店って、職人さんや、出入りする方々がいかつい男性ばかりで、荒々しい男社会だと思ってたんですよ。毎日の生活に一所懸命でしたが、泣き出しそうになったり、逃げ出したくなったりしたこともありました。そんな時、助けられたのは、家族の笑顔だったり、最初は荒々しいと思っていた職人さんたちの優しさだったり。周りに支えながら、なんとか元気よく、明るく笑っていることで乗り切っていった気がします(笑)。
子育てがひと段落した平成12年(2000年)、モデルハウス「ひだまり亭」建築時から本格的にナルシマを手伝うようになりました。
それまでのナルシマの家づくりに、子育ての経験から得たアイデアなど伝えたり。少しづつですが、プランニングからデザインまで、女性らしい視点が増えていったんじゃないでしょうか。家の完成時に女性3人の目線で点検するウーマンズチェックや、現場の1日5回清掃、ランチ上棟式なども女性らしい視点から出来上がったものです。
常設モデルハウス「ひだまり亭」から、移動展示場の「ソニア・フルール」「レイ・ソニア」はまさに子育て世代、女性視点の家を。自邸「空に近い家」では、親子三世代の家を。今、ナルシマに来社されるお客様は、子育て世代や二・三世代同居も多いのですが、二人暮らしや一人暮らし、ペットと暮らす家等多種多様になってきました。そういった意味では、いろいろな目線と柔軟な考え方を私自身も持つようにしています。
成島はアイデアと行動力がズバ抜けていて、ものすごいスピードで走り抜けますので女性の目線と母親的な視点から「こういう見方もあるわよ」と、教えてあげて方向が間違わないように手助けできれば、と思っています。
気が付けば、取手に嫁いで28年。現在では、ふぁいんぷれいすの編集から、お客様サポート、総務経理、経営計画まで、工務店女房の細腕も少しは太く逞しくなってきたでしょうか。私の場合、家族と社員や職人、そしてお客様と「一緒懸命」だったのかもしれません。